●日本国憲法には「自由」という言葉がたくさん出てくる。

憲法は「国家権力への国民からの命令」あるいは「憲法とは国家を取り締まるためのものです」。
そんな重要な事が日本で広く知られているかというとどうもあまり知られていない気がします。その事を私も学生の頃、教わった覚えはありません。(教わったけれど覚えていないだけかもしれません。)

その日本国憲法には「自由」という言葉が次から次へと大量に出てきます。

・第12条(自由・権利の保持の責任とその乱用の禁止)
 この憲法が国民に保証する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを乱用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

・第13条(個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉)
 すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に関する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政上で、最大の尊重を必要とする。

・第18条(奴隷的拘束および苦役からの自由)

・第19条(思想および良心の自由)

・第20条(信教の自由)

・第21条(集会・結社・表現の自由、通信の秘密)

・第22条(住居・移転及び職業選択の自由、外国移住および国籍離脱の自由)

・第23条(学問の自由)

このように個人の基本的な人権である「自由」を国が守ることをうたっています。

最後の方にある97条で念押しのように次のように書かれています。

・この憲法が日本国民に保証する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在および将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

くどいくらい憲法には「自由」と書かれています。

近代社会が確立してきた「自由」という概念はとても大切な概念です。日本国憲法に記載されているような「自由」の無い国に住みたいとは思いません。憲法で記載されているとおり、国民の不断の努力によって、自由を維持していくことは、とても大切な事です。

第98条(最高法規、条約及び国際法規の順守)
1.この憲法は、国の最高法規であつて、その上記に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を有しない。

となっているとおり、憲法に反する法律は効力を有しない。とされています。(もちろん法律が憲法に反しているかどうかという解釈の問題はありますが)

●憲法の元で日本では個人の自由が保証されている

今回の新型コロナウイルス感染拡大に際して、人と人の接触を減らすという対策が世界中で行われました。多くの国では、法律の執行によって国民の自由な外出を一部制限するという対策を取ったわけです。日本の場合そもそも外出を禁止する外出禁止令のような個人の自由な行動を制限する法律が無く、ほとんどが国民への外出自粛の呼びかけといったお願いベースの対策が中心となりました。

なぜ行政がもっと強い措置ができないかという意見もありますが、行政はあくまでも法律の範囲内で、権限を執行しているわけで、法律がなければそのような措置はできないわけですし、やってもいけないわけです。

今後、今回のような感染症拡大の際に、どの程度国民の自由を法律で制限することができるのかという議論は必要と思いますが、今回の新型コロナウイルスでの政府の対応を見る限り、日本は自由を尊重する憲法のもとで、法律上自由が強く保証されている国であるとわかります。たとえば、外出したらいきなり逮捕されるとか、罰金を取られるということが無いということです。
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●日本の歴史の中では現在が一番自由が保証されている。世界を見渡してもかなり自由

世界を見渡せば、政府や政治家を批判すると逮捕されてしまう国もあります。日本では同じことをしてもいきなり逮捕されることはまずありません。どんな服を着てもよいし、どこに住むのも自由です。誰と結婚してもよいし、誰といっしょに住んでもよい。どんな職業につくのも自由だし、辞めるのも自由です。

日本の歴史の中では、間違いなく現在が一番、自由が保証されている時代と言えるでしょう。過去にさかのぼれば、権力者の批判をしたら逮捕されることもあったわけです。逮捕されたうえ拷問にあったり。いくさや戦争に駆り出されることも。また住む場所、結婚、住む場所、職業についても様々な制約があったわけです。

現在の日本は、憲法の下で作られる法律という枠組みの中で、本人に自由を行使するつもりがあれば、法律上は、相当に自由が保証されていると言えるでしょう。



●憲法下では自由な日本社会で自由が制限されている特殊な空間(会社と学校)

一方、これだけ広範な自由が保証されている日本で、例外的に法律で保証されている自由が制限されている組織や集団があります。それが、会社や学校です。もちろん全ての会社や学校ではありません。

●日本の会社の場合

会社の場合は、労働者が契約にそって労働を提供するのは双方向の契約関係ですから当たり前のことです。しかしサービス残業するのが当たり前になっていたり、勤務時間外の様々な付き合いへの出席が半強制のようになってしまっている場合もあります。

法律的には、サービス残業をする必要は全く無いし、勤務時間外の付き合いに出席する必要もありません。この場合個人としてみれば保証されている自由な時間を放棄してしまっているのです。ある集団の中で形成された暗黙のルールや日本独特の同調性を重視する組織風土が、個人の自由を放棄させるに至らしめているという側面が強いのでしょう。

●日本の学校の場合

もう一つが学校です。学校といっても大学は特に校則といったものは無いに等しいですから自由の制約はさしてないでしょう。高校は学校によって様々ですので一律に語るのは難しいと思います。

問題だと思うのは、国の管轄の元で地方自治体が運営している義務教育。特に中学校です中学校では合理性が到底無いと思われる校則が未だに残っていることが、書籍で紹介されたりマスコミ報道されています。

頭髪の長さや色、靴下の長さや色を校則で決めることにどんな合理性があるのでしょうか。下着の色を指定したり指定の下着を着用しているかチェックする学校があるとの報道があるが何の目的でやっているのか全く意味不明だし重大な人権侵害の可能性が濃厚。その他にも様々な不可解な校則があるようです。

中学校では制服が指定(推奨と呼ぶ場合もあるが実質的に指定)されている学校が大半であるが、制服はあってもよいが制服以外の選択肢があってもよいだろう。同じ義務教育でも小学校では、服装も自由だ。中学校のような厳しい校則もない学校が大半だ。小学校では自由でよいものが、中学では、なぜ厳しい校則で自由を制限し、過度な同調性が必要があるのか、まったく不可解だ。

以前別のブログに書いたが、学校に必要なのは、他の人が勉強するのを妨害してはいけないというシンブルなルールだ。他の人の教育を受ける権利を邪魔してはいけない。それを邪魔するのであれば学校に
来てはいけないということだ。それ以外の校則は本来必要の無いものだ。

基本的人権として自由が保証されている日本で、中学校が校則等で厳しく自由が制限されていることは全く不可解だ。憲法で保障されている自由からは隔離されたような空間になっている場合も多いだろう。

自由や私権の制限について非常に敏感に反応する日本のリベラルと言われる政党や新聞社も学校での自由の制限に関してはとても鈍感だ。どちらかというとほったらかしにしている。まあ日本の新聞社は、丸坊主で野球をやっている大会を後援しているぐらいなので、学校での自由の制限についてはあまり興味が無いのは不思議ではない。

●(とても勘ぐった見方をしてみる)
なぜ日本の中学校で厳しく自由を制限する必要があるのか


ここからはとても勘ぐった見方なので客観的にそれを証明することはできないが、一つの仮説しては成り立つ。誰かが意図的にそうしたのか、結果的にそうなったかはわからない。

今回の新型コロナウイルスへの対策として政府や地方自治体は、法律的な根拠に基づかない、国民への自粛要請を多用しました。法律の根拠に基づかない自粛要請に従って、自分の行動を制限している国民について、ある大臣は「民度が高い」と言っていました。そういう見解もあるかもしれません。また要請であっても自主的に行動を制限する国民はすばらしいという見方も成り立ちます。

一方、自由という権利があるにもかかわらず、法律的な根拠に基づかない自由を制限する要請に簡単に従ってしまう国民とも言えます。

欧米諸国では、マスク反対とか外出禁止反対とかで多数の人が集まって抗議している国もあります。自由を制限することに対してかなり敏感なのです。

日本では、要請に従っておいたほうが感染拡大を防げると合理的な判断ができている人が多いとも言えますが、あまり考えずに自由を放棄して権力者の指示に従ってしまっているとも言えます。

なぜ、国民が自分自身で自由を放棄して、簡単に国の要請に従うのでしょうか。よく考えたらかなり不思議なことです。その理由は、学校教育にもありそうです。

小学校から「前へならえ、右向け右」に従うように訓練されて、さらに中学になり根拠のない理不尽に思える校則や服装を強要される環境で過ごすことで、無批判に権力者の言うことに従ってしまうという反射が身についてしまうのかもしれません。また権力者の言うことに従っておくのが自然だと考えるようになっていくとも言えます。

●憲法で認められた自由を自発的に放棄させて権力者が統治する仕組み

権力者から見たら、憲法の元で国民の自由が強く保証されて、法律的な根拠で国民の自由を制限することが難しい戦後の日本社会にあって、(彼らが国を統治する方法として)学校教育を通じて、権力者の言う事に反射的にとか、無自覚に従ってしまう国民を育成してきた。しかもそれに成功したとも言えます。(かく言う私も、育成されてきた国民のうちの一人である。)

もっと具体的に言うと憲法で広範な自由が認められている一方、それはそれとして、別次元で権力者の意図によって、法律的な根拠がなくても、個人の自由を自発的に放棄させ、権力者の意図する方向に同調させて統治するシステムを作りあげたとも言えます。

学校教育を通じて、権威や権力者に従ったり同調することをたたき込まれた国民を一つの方向に誘導するのはTVなどのマスコミを活用したり、政府の顔色をうかがっている大企業や大組織への有形無形の影響力を行使すれば容易だ。

TVなどのマスコミという権威を利用すれば国民の意識を一つの方向に誘導するのはさして難しいことではないだろう。たとえば、法律的な根拠はないので従わなくてもよいケースでも、TVは営業自粛の要請に従わない飲食店やパチンコ屋を身勝手だとか非道徳的だとさらし者にしたり、つるし上げたりする。

TVで外出している人をいかにも自分勝手な行為をしているように取り上げれば、多くの人を同調させることができるだろう。最近では、そこにSNSの誹謗中傷が加われば、さら同調圧力を強力にすることができる。法律で自由を制限されていないにも関わらず、道徳上問題だという社会の空気を作って同調圧力を作り出すわけです。

常に政府の顔色をうかがっている大企業や大組織は、法的根拠の無い政府の要請に対しても敏感に対応する。大企業や大組織は、法律的な根拠のない事についても従業員に対して指示したり、影響力を及ぼすことができる。また大企業や大組織は取引のある中小の企業や組織にも何らかの影響力を及ぼすことができる。

日本の会社で働いている従業員は、国民の自由の保護といった観点から考えれば多少グレーの事でも、会社からの指示や要請に対しては、概ね同調的に対応することがほとんどであろう。会社からの指示や要請はちょっと変だし、面倒くさいけど我慢しておこうといったところです。

このように、憲法上の個人の自由が保証されている一方で、法律的な根拠がなくても、権力者がTVなどのマスメディアや大企業大組織への有形無形の影響力を行使することによって国民を一つの方向に誘導することができるというのは、権力者からみたら非常に都合がよい。権力者にとっては、教育の成功とも言えるでしょう。

そう考えると、「前えならへ。右向け右」といった号令に従うように指示されたり、小学校1年生から道徳の授業があったり、理不尽な校則に従うように指導される教育がなぜ日本で続いているかが合点がゆく。

●国民の自由を制限する場合は国の法律で定めるのが理にかなっている。

法律で自由を制限しなくても、自発的に自由を返上する国民によって社会の秩序が維持されているので
それでよいではないかという考え方もあるかもしれない。

しかし、TVなどのマスコミなどを活用した有形無形の同調圧力によって、自発的に自由を返上させるというやり方は止めていったほうがよい。それでは一体誰が?、どんな集団や組織が?それを指示しているのか国民にはさっぱりわからない。

国民の自由の制限については国政選挙で選ばれた国会議員の審議を経て、国の法律で定めるのが民主主義国家としては理にかなっているそうするべきだろう。それが民主主義国のやり方だ。

●小学校で道徳を教えるより憲法に書かれた「基本的人権」を教えた方がよいのでは

憲法は「国家権力への国民からの命令」あるいは「憲法とは国家を取り締まるためのものです」。そういった憲法の本質を知らない。あるいは教育されていない国民も多いと思います。憲法が国家権力への国民からの命令であるという本質を知ると、憲法に記載されている基本的人権を小学校から教えることが権力者にとってはどれだけ都合の悪いことかがよくわかります。
また権力者にとって都合がよいだけではなく、前へならえを訓練したり、道徳を教えて簡単に従ってくれるように教育した方が学校にとっても、場合によっては親にとっても都合がよいわけです。
しかし、「前へならえ。右向け右」といった号令に従うように指示されたり、理不尽な校則に特に疑問を持たずに従うように指導する日本の教育(特に公立の中学校)のあり方については、個人の自由をうたっている日本国憲法の趣旨と照らし合わせると、早急に見直していったほうがよいと思います。

小学校から学校で日本には憲法があり、国民は、基本的な人権を有し、生命、自由及び幸福追求についての権利を有していると教えた方がよい。憲法に書かれていない「道徳」を教えるよりこちらの方が先でしょう。

小学校の頃に憲法第97条(基本的人権の本質)に書かれていることを知るか知らないかでその後の人生のあり方はずいぶん変わってくるのではないだろうか。
「この憲法が日本国民に保証する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在および将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

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