●日本人になじみの無い「ワラント」という言葉

苫米地英人博士は、250冊以上の著書を出版されている認知科学者ですが、自身の経験も踏まえてディベートに関する書物も出版されてます。

ディベートに関する本の中で、必ず出てくる言葉が、「データ」「ワラント」「クレーム」という3つの言葉です。この3つの言葉は一連のセットとして使われている。データとクレームという言葉は耳にするが、「ワラント」と言う言葉は馴染みがない。私はこの言葉を苫米地英人博士の著書を読んではじめて知った。

社会人になってから、ビジネスで他の方の話を聞く際に違和感を感じることがありました。データを元に説明、主張(クレーム)をしているのだけれど、何か腑に落ちない。この妙な違和感の正体が「データ」と「クレーム」をつないでいる「ワラント」だったのです。

数字をいっぱい並べて、それらしいことを言っているけれど何か妙な違和感を感じる場合や、自分でプレゼン資料を作った時にどうも弱いなーと思う時はこの「ワラント」に原因がある場合があります。このワラントという言葉を学生時代に知っていれば、モヤモヤはもっと早いうちに解消されたのにと思います。その位重要な言葉です。

●「データ」「ワラント」「クレーム」とは

それでは、「データ」「ワラント」「クレーム」とは
苫米地英人博士の著書「人を動かす「超」話し方トレーニングから引用します

(引用開始)
「データ」とは、「主張する内容を裏付ける事実」を指します。客観的な証拠資料のことです。
「ワラント」という概念は日本人にはわかりずらいかもしれません。辞書を引くと、「根拠、保証」といった意味が載っています。「提示したデータがなぜ主張する内容を裏付けることになるのかという論拠」を言います。

ワラントの無い無意味のデータを引っ張り出してきて、「これが証拠です」と言っても意味がないですし、実は一見無関係のように見えても、意外なワラントによってしっかりとした論拠があったという場合もあります。

「クレーム」とは「主張」のことです。「文句を言うこと」ではありません。要するに、その場面で主張する内容のことです。

何らかの主張(クレーム)をする場合、その主張が正しいと言える証拠(データ)と、なぜそれが証拠となりうるのかという説明(ワラント)が必要になるというのが、論拠の大前提となります。
(引用終了)
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●「データ」「ワラント」「クレーム」の使われ方の身近な例

たとえば、ビジネスや商売のミクロな現場で考えるとこんな例が考えられます。

・店長が扱う商品を決めている雑貨店があるとします。そこで新入社員のAさんが店長にBと言う商品を取り扱った方がよいのではと提案(クレーム)するとします。

(ケース1)
Aさん「Bという商品を扱った方がよいと思います」
この場合、クレーム(主張)はあるけれど、データもワラントもないので、店長は扱った方がよいか判断できません。

Aさんはせっかく提案したのに意見が採用されなかったと思うかも。でもこれだけ言われても店長もどうしたらよいか判断できません。

(ケース2)
Aさん「昨日お客にBという商品は無いのか聞かれました。そのためBという商品を扱った方がよいと思います。」

この場合、お客に聞かれたというデータはあります。しかし1人のお客に聞かれたというだけでは、扱った方がよいという主張(クレーム)の裏付け、論拠(ワラント)にはならないので、店長はその商品を扱った方がよいかやはり判断できません。店長もその商品を扱って売れるか確信がもてません。

(ケース3)
Aさん「(データ)お客に毎日10件以上Bという商品は無いかと聞かれます。そのため競争しているC店D店を調査したら両店ともに扱って、お客の目にとまる場所にならんでいます。(ワラント)お客の問い合わせも多く、競争している店舗での扱いも強化されている商品は扱えば売れる可能性が高いので
(クレーム)我が店でも取り扱いしたほうがよいと思います。」


この場合、データ、ワラントともに強化されているので、クレームに信憑性が出てきます。これであれば、店長から返事は「そうだね、扱いを検討してみよう。よい提案をありがとう」ということになりそうです。

もちろん、最終的に店長が提案を採用するのかはわかりません。商売なので、実際に売れるかは売ってみないと分かりません。競争店舗で扱っていても自分の店では扱わなくてもよいのだという反論をすることもできます。しかしAさんの提案の主張は、言われた方はなるほどと思う内容だといえるでしょう。

このように、データ、ワラント、クレームというのは、ビジネスや商売のミクロな現場でも実は使われているし、ビジネス上必要とされるスキルでもあるわけです。

しかし、私のビジネス上の経験から考えると、データ・ワラント・クレームを意識して使っている人は限られています。データもなければワラントもなくクレームだけある。
または、データは取ってみたがクレーム(主張)となんの関係があるのかわからないというケースもよくあります。

そう言う自分自身の主張も、データ、ワラントを飛ばしてしまう場合もありますし、関連性が弱い場合もあります。人からの指摘で直したり、後になって、ここちょっと変だったと思う事もあります。
データ、ワラント、クレームのつながりがしっかりした文書を作成したり、喋ったりするのは、なかなか難易度の高いことなのです。

逆にこれがしっかりできれば、相当にビジネススキルが高いと言う事もできるわけです。
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●主張はするがなぜその主張が成り立つのか一切語らないという日本人の典型的パターン

普段の生活では、データ、ワラント、クレームを知らなかったり意識しなくても困ることは無いでしょう。腹が減ったらご飯をたべる。眠くなったら寝る。といったことにいちいちデータ、ワラント、クレームなど考えないし、すっ飛ばしていますが、これは特に支障はないでしょう。

しかし、ビジネスや仕事の場面でさえデータ、ワラント、クレームがすっ飛ばされたり、意識されていないケースが圧倒的に多いと思います。

苫米地英人博士は著書「超人脳の作り方」の中で次のように述べています。

(引用開始)

日本人の典型的なパターンは「クレーム」ばかり言って、「データ」も「ワラント」もないというケースです。主張はするものの、なぜその主張が成り立つのかについては一切語らないというものです。

日本人の場合は、「言わなくたってわかるだろう」という論理なのですが、これは日本の中でしか通用しません。よくいう「腹芸」です。

日本人は長い間、同じような文化をみんなで共有してきました。そのために、何でもかんでもいちいち説明しなくても、ある程度、分かり合えました。むしろ、言わぬが花で、いちいち説明することのほうが「野暮ったい」などと思われるようになりました。

ある主張をしたとき、それを裏付けるデータを持っているというケースが一般的だったわけです。データを示す必要がなければワラントも必要ありません。データとクレームとの橋渡しをするのがワラントだからです
 。
(引用終了)


こちらに、述べられているように日本人は、データ、ワラント、クレームを特段、意識して使用して
いないようです。この用語が一般的でないことからもよくわります。

特に政治的な発言でよくみられるが、クレームのみでデータもワラントもない事例は、ツイッターを見ればあふれています。(ちなみに、クレームのみでデータもワラントもないツイートは反論のしようもない)

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●データ、ワラント、クレームを使い過ぎると煙たがられる?

思い浮かべてみてください。
実際は、
日本では、データ、ワラント、クレームをとくに意識しないでもできてしまう仕事が大半でしょう。もちろんどんな仕事でも圧倒的な成果を出そうとすれば、それを駆使する必要があるわけですが、そこまで意識して使用している人も限られているわけです。

もちろん、データ、ワラント、クレームを駆使する必要がある仕事もあります
しかし、あまりそれを駆使すると、企業や組織の中、あるいは職場の人間関係の中で、煙たがられるとか孤立してしまういうことも日本ではありがちです。


企業の場合は、収益に結び付くことでは、データ、ワラント、クレームの使用を推奨するが、それとは別に、上役の言う事には疑問を持つな、組織内の人間関係は、「腹芸」で行こうといったところでしょう。

(ちなみに「腹芸」は言葉にされない相手の本意をくみ取ること。言葉に出さないでそれでもいいたいことを伝えるといったこと。動作や言葉をつかわずに、迫力や雰囲気でものごとをうまく処理することと言った意味。忖度と言う言葉もその範疇に入ると思います)

●世界が一体化する中で日本は今のままでやっていけるのだろうか

データ、ワラント、クレームを駆使した議論を戦わせなくても腹芸でやっていければそれでもよいかもしれませんが、はたして日本はそれでやっていけれるのでしょうか。

苫米地英人博士は次のように述べています。
「人を動かす「超」話し方トレーニンク゛」から引用
(引用開始)
国際社会といわれて久しいですが、現状で見てみますと、特に政治や経済の分野で、「グローバルスタンダード(世界標準)」などと言いながら、実は「欧米標準」を無理やり押し付けられているという場面が多く見られます。

和を尊ぶ日本人は、小さい頃から議論を戦わせることを当然のように学んでいる欧米の人たちに、議論でやり込められてしまうでしょう。

繰り返しになりますが、日本が鎖国でもしない限り、今後も国際社会で欧米、あるいは全世界の人たちと議論を重ねながら、政治や経済、あるいは文化までも、国際化していかなければなりません。
そうした場面では、どうしても議論の強い方が主導権を握ることになります。議論する力がないと、ただひたすらやり込められ続ける国になってしまうのです。

大きな国益がかかった場面では、日本式の「接待」や和を重んじる「あいまいさ」は何の武器にもなりません。
つまり、日本人が今後、国際社会で生き抜いていくためには、トゥールミンロジックを身につけることが不可欠だということになります。
(引用終了)


※トゥールミンロジックとは、1960年代にイギリスの分析哲学者スティーブン・トゥールミンによって提唱された論理構築法で、「三段論法に代表される形式論理の方法論は、実社会における論理構築の手段として適さない」という考えから生まれた論理技術。「データ」「ワラント」「クレーム」はその基本手法。(詳しくは上掲書を参照してください)

これを読むと、日本でもデータ・ワラント・クレームを基本としたトゥールミンロジックを駆使できる人材を多数育成していくことが必要と思います。

もちろんすべての日本人が直接、国際社会と相対してロジックを駆使して議論するということにはならないと思います。一部の人だけに必要とされるスキルのようにも見えます。

しかし日本社会全体が、データ・ワラント・クレームでの議論を尊重する文化。またそれができる人材を尊敬するような風潮になっていかないと一部の人だけが変化するというのは、難しいのではないかと思います。

もちろん、そういった人材が日本とは関係なく海外で活躍するということあると思いますが、日本にいる限りは、同調圧力で足を引っ張れてしまっうことは想像に難くありません。

やはり日本社会全体が変わっていく必要があることだと思います。もちろん、これは一朝一夕で変わるわけではなく、かなり時間のかかることだと思います。そこまでの変化は私たち大人の世代では難しく子供の世代に託すことになるのでしょう。
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●子供の頃からトゥールミンロジックを学ぶ重要性


苫米地英人博士も、やはりトゥールミンロジックを子供の頃から学ぶことの重要性を次のように述べています。

「人を動かす「超」話し方トレーニンク゛」から引用
(引用開始)

そのためには,私は子供の頃から論理的に考える癖をつけること,具体的には学校教育にトゥールミンロジック を学ぶカリキュラムを取り入れるべきだと考えています。

これは、小さいうちから論理的思考に慣れさせて「論理的話し方」を身につけてもらうという意味と、日ごろから論理的思考をする癖をつけることで、一人ひとりの論理思考力そのものを高めるという意味があります。日本という国で見た場合にも、個人という視点で見た場合にも、大きなメリットがあるわけです。

ただ、最大の問題点は、残念なことに指導できる先生がいないということです。論理の重要性に気付いて、論理を学ぶ先生も増えてきているのかもしれませんが、日本の場合、現場の先生一人ひとりの力ではどうにもできないことが多すぎます。文部科学省が音頭を取って動かさない限り、なかなか変わってはいかないでしょう 。


(引用終了)

このように、子供の頃から論理的に考える癖をつけるように学校のカリキュラムに取り入れるべきであるが、指導できる先生がいないのですぐには難しい。文科省が音頭を取るといった大きな動きが必要と述べられています。

●日本の学校教育の中にデータ・ワラント・クレームの思考を許さないタブーを作っていないか


指導できる教員がいないのと同時に、日本の学校教育の中に、結論が決まっていて議論や批判をすることをゆるさないタブーを作っていることも、自由に論理的に思考することを妨げてしまっていると思います。

たとえば、こんなこと。
・前へならえと言われて前にならう必要があるのか
・右向け右と言われて右を向く必要があるのか
・学校に制服を着ていく必要があるのか
・合理性に欠ける校則に従う必要があるのか

こういった問題を自由に生徒や先生が考えて、議論することなく、その理由は考える必要はない。従うことが大切といった教育を続けている限り、トゥールミンロジックを学校のカリキュラムに入れると言っても難しいでしょう。指導する先生方も自己矛盾に陥ってしまうでしょう。

卵が先か鶏が先かみたいな話になってしまいますが、一気に変わらないとすれば、
少しずつでも論理的な思考ができる人が増えていくのを待つよりないでしょう。
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●子供が小さい頃から親としてできることはある。

それでは、データ、ワラント、クレームを基本とした論理的な思考を子供がするために親としてできることはどんなことでしょうか。

①小さい頃から子供自身が説明するように推奨する。質問する。

子供がこうしたいとか。こう思う。といった時に「なぜだと思う」「どうしてだと思う」と親が質問する。そうするとたいてい、「わかんない」という反応になると思うのですが、だんだんと子供なりに考えて説明してくれるようになります。

私の息子も問いかけ、質問をすると「どうしてかと言うと」「なぜかと言うと」「というのは」「要するに」といった言葉で説明してくれます。

子供の「こうしたい」がクレームだとすると、それに「どうしてだと思う」の質問に対しての子供の答えが「データ」になっている場合もあります。そこにもう一つ質問すると「ワラント」に至る場合もあります。

子供なので、このデータとワラントは弱い場合がほとんどですが、こういった思考をすることが論理的な思考につながっていくのだと思います。もちろん親は、子供の発言の論理的なつながりが弱くても、「そうなんだー」と聞いていればよいわけです。子供がそのような思考習慣を持つことが大切なのです。

この方法は、苫米地英人博士の子育てに関する本に。子供のIQと抽象度を上げるやり方として紹介されていた方法ですが、ここにもつながっていたのかと今気が付きました。

②親が子供にきちんと理屈を説明する。

これは、苫米地英人博士の「脱・洗脳教育論」で紹介されている内容です。
こんな事例が紹介されている。

夜中にトイレに行くと、お化けが出るから、寝る前にトイレに行っておきなさい」といった宗教的な思想や迷信を安易に利用することは、日本では日常的に行われている。しかし、お化けが出る事もないとわかっていてそういった発言をすべきではなく、きちんと理由を説明すべきだとしている。

これはそのとおりだと思います。
私も妻も子供に何か言う時は、自分の知る範囲で、その理由を説明するようしています。また言ったあとで、これは根拠が弱いとか知識が足りないと思ったら調べてなるべく子供に答えられるようにしています。完璧には難しくても、親ができる範囲で論理や理屈で子供に説明してあげることが大切だと思います。

こういった事を続けていけば、少しづづ子供の論理的な思考力が育まれていくし、次の世代の思考法も変化行くのではないかと思います。

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