●親が想定している子供の進学は大学までか!

「子どもが東大に入るための教育法勉強法」といった東大を頂点とする高偏差値大学やブランド大学に子供が入学するための教育本は巷にあふれている。
高偏差値やブランド大学に子供が入学するために、どこ学校や塾はよいとか。どの教材を使ったら効果があるといった情報だ。

そのような記事を見る教育熱心なご家庭では、家計に負担がかかっても、大学に入学するまでの学費や教育費は子供のためになんとかしよう。そして大学卒業までは可能な限り援助しよういったところではないでしょうか。

多くの親が子供の大学入学と卒業で子供の教育や経済的な援助は一区切りだと考えているのではないでしょうか。そこまでしたら親として十分なことをしたと。〇〇大学に入学して、卒業してくれてよかったといった感じではないでしょうか。

東大などのブランド大学に子供が入学してほしいと思っている親はけっこういると思うのですが、〇〇大学の大学院に入学してほしいと考える親は少なそうです。日本では、子供の進学を大学院ましてや博士課程までを想像している親はごく一部ではないでしょうか。

●大学院への進学と卒業後の実態

どのくらいの人が大学院に進学しているのでしょうか。
「大学院の現状を示す基本データ」(中央教育審議会大学分科会大学新部会(第81回)によれば
2016年で学士(大学卒業)からの修士への進学率は全体で11.0%
理系の学部は理学41.8%,工学36.4%,農学23.4%と比較的高い。それでも3人中1人だ。

文系の学部はさらに低い。人文学4.7%社会科学2.5%で20人~30人中1人といったところで、ほとんどの人は修士課程には進学しません。

修士課程修了者のうち博士課程への進学者は全体で9.6%です。したがって、博士課程に進学するのは大学卒業者の1%ということになります。

日本では、修士課程まで進学するのは10人中1人。博士課程まで進学となると100人中1人です。したがって日本の親が子供の大学進学までは熱心に考えるが、大学院までは想像しないのはあたりまえです。

私は大学の文系の学部を卒業していますが、私も含めて周りに大学院に進学した人はいませんでした。何十年か前ですが、文系の学部を出たら就職するなり社会に出るのが圧倒的多数でした。

およそ30年前の1991年から最近にかけて大学院への進学状況に変化があったでしょうか。
大学院在籍者数は、文科省の統計によると1991年98650人 2016年249588人で25年間でおよそ2.5倍になっています。大学卒業者の大学院進学率は1991年6.7%。2016年11.0%です。

人数、進学率ともに上昇していますが、30年前と比較しても日本では大学院への進学は主流ではなく少数派であることは変わりがありません。

「大学院の現状を示す基本データ」(中央教育審議会大学分科会大学新部会(第81回)
https://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/giji/__icsFiles/afieldfile/2017/07/24/1386653_05.pdf

日本では理系の修士課程以外は大学院への進学はごく少数派です。その理由は大きく2つあるようです。

一つ目は大学院での学業を継続するための学費等の費用の問題です。

二つ目は大学院を卒業後に働く場所が無いという問題です。
博士課程を修了しても大学教員の枠が少なく教員になれないということ。また一般企業でも大学新卒の採用が優先されて大学院卒の採用をしないということのようです。特に文系の就職先が乏しいようです。

要はお金をかけて苦労して卒業しても、働く先も無いので魅力を感じないということのようです。

このような理由で現在は、大学院まで進学しないのが圧倒的な多数派であるわけです。

大学院修了後に仕事に就くのが厳しいことはこちらの2つの記事を読むとよくわかります。
・ニュースウィーク日本版「博士を取っても大学教員になれない「無職博士の大量生産」
舞田敏彦氏(教育社会学者)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/01/post-9390_2.php

・ニュースウィーク日本版「6割が不詳・死亡などの「不安定進路」という人文系博士の苦悩」
舞田敏彦氏(教育社会学者)
https://news.yahoo.co.jp/articles/1426d4b1f4c014aa608b1ae299274e46ac1b8804

・ニュースウィーク日本版「日本に研究不正がはびこり、ノーベル賞受賞が不可能である理由」
岩本宣明氏(ノンフィクションライター)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/technology/2020/10/post-94838_5.php

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●アメリカの大学院と博士課程事情は日本とずいぶん違う

アメリカではどうでしょうか。経済規模世界1位でアカデミックな世界でもナンバーワンの位置なわけですから、世界的な主流の一つと見ることができます。

アメリカの大学や社会の事情に詳しい苫米地英人博士の著書「圧倒的な価値を作る技術「ゲシュタルトメーカー」(開拓社)からみてみましょう。



同書の該当箇所を要約いたしますと、次のとおりです。

アメリカは超学歴主義の国。そのためMBA(経営学修士号)を持っていないビジネスマンは、定期昇給や昇進はなくルーチンワークを毎日繰り返すことになるという。
そのため、学費が無い人は高校なり大学なりを卒業したあと、まずは働いて少し貯金ができてからビジネススクールに進んでMBAをとるというケースがよくある。そのうえで次の会社に転職すると、いきなり賃金が三倍、五倍になることもある。


しかし、MBAは修士号にすぎず、それを取ってもビジネスエリートというわけではなく、ルーティンワーカーを束ねる現場監督といったところ。
アメリカでは、
ビジネスを創出したり、イノベーションを生み出したりすると いったクリエイティブな仕事をするためには、最低でも博士号(Ph.D=Doctor of Philosophy)を取っていなければならないというのが一般的な認識になっている

アメリカでは博士号をもっていることが独自のものを考えられる人、オリジナルな考えを生み出せる人の最低条件とみなされているというわけです。こういう学歴主義は一見差別に見えるかもしれませんが、学歴で人の能力を判断されるというのは、実はとてもフェアなことだと考えられているとのことです。なぜなら誰でも学科試験や論文の審査を通れば認められるからです。
同書では以上のように述べられています。

●アメリカと日本で学歴に対する考え方がずいぶん違う

このように、アメリカでは、大学院とくに博士課程を修了した人や博士に対する社会的な認識が日本とは大きく異なっています。簡単に言ったら、大学院を出ていないとそもそも企業や社会の中でのリーダー的なポジションにつくことは難しい。クリエティブな仕事をするのであれば博士号が必要という仕組みで動いているというわけです。


日本の場合だと企業の中のポジション選抜について大学院卒業は必須ではなく、大学卒業者や企業によっては高校卒業者の中からも選抜されていくというケースが多いでしょう。
また入社選考過程では学歴よりも大学名が巾を利かす企業も多いわけです。

このように就活時の選考条件や入社後の選抜過程の曖昧さが日本企業や日本社会にはつきものであるのです。そのため就職や入社後の選考に有利になるように、日本では東大をはじめとする高偏差値大学やブランド大学への入学を目指すといったことが起こるのでしょう。

アメリカでは学歴と企業・社会での役割・ポジション連動している。
日本では入社選考の段階での大学名による入社難易度の差はあるが、学歴と企業・社会での役割・ポジションの連動は曖昧である。という違いがあります。

日本のあり方を全否定するつもりはありませんが、どの学歴になったらどのような仕事やポジションにつけるかが明確な点ではアメリカの方式はフェアに思えます。

またどちらが先進国の中で主流なのかというと、アメリカ方式ということになるでしょう。

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●ゲシュタルト能力を鍛える場としての大学院博士課程

このような日本の現状を踏まえつつも、本書のなかで、苫米地英人博士は大学院の博士課程を卒業することをすすめています。なぜかと言うと博士課程を修了したことは、ある学問分野をひと通りおさめたという経歴を保障することになるからです。

また、ある学問分野を収めたということは、ゲシュタルト能力の基本的な訓練を受けているということを意味するからだと言います。

苫米地英人博士は、ゲシュタルト能力が大切だと述べています。特に仕事で成功したいのであればこの能力は必須。

ここでゲシュタルトという言葉が出ています。詳しくは苫米地英人博士の「圧倒的な価値を作る技術「ゲシュタルトメーカー」(株式会社開拓社版)をご覧ください。
用語の意味を理解するにはこちらの本を一冊読む必要があると思いますが、この用語のさわりだけ説明しますと次のようになります。

ゲシュタルト=「バラバラに存在するものを統合して新たな価値を生み出す能力 」

ゲシュタルト=「低い抽象度でばらばらなものが、抽象度が上がると一つの整合的なものになる。」


同書の中で、「ゲシュタルト」を具体的に説明する事例が2つ出てきます。引用します。

(引用開始)
たとえば、細胞が集まると筋肉や粘膜といった組織になり、組織が集まると心臓や脳といった器官になる。そして器官が集まると生体になる。というように抽象度がある上がるごとに新しいゲシュタルト(=全体)が生まれる。ゲシュタルトが生まれるごとに新しい価値が生まれるわけです

あるいは、ビジネスの例で言うならば、銀行とコンビニエンスストアは低い抽象度ではばらばらに存在しています。ところが、これを一つ上の視点から見ると、どちらも人々の暮らしに欠かせない消費活動のスポットとなり、コンビニ ATM という新たなゲシュタルトが生まれて、これまでになかったサービスが創造されることになります。
(引用終了)


ビジネスの世界ではそうした商品やサービスはいろいろあるでしょう。ヘッドフォン付きラジカセと持ち運びからウォークマン。携帯電話とインターネットでスマートフォン。とか。

ビジネスの世界では、一見何も関係なさそうにバラバラに存在しているものを統合して抽象度の高い所で新たな価値を生み出すことが重要であるわけです。こういった新たな価値を生み出さない限りビジネス上の成功は期待できないと言えるというのです。


その上で、苫米地博士は次のように述べています。
(引用開始)
現代社会に流通している情報量はすさまじい勢いで増加しています。ということは、その膨大な情報をうまく整理・運用して新たなゲシュタルト構築が可能なら、画期的な価値創造が次々と可能になるでしょう。現代のビジネス環境の中で仕事の価値を決めるのは、ゲシュタルト能力なのです 。
(引用終了)


情報量がすさまじく増加している現代社会のビジネス環境の中で、仕事の価値を決めているのはゲシュタルト能力だと。そして次のように述べてられています。

(引用開始)

その意義は、一つの学問分野における膨大な知識を整理し,体系づけてゲシュタルトとして統合するところにあります。もちろん、学問の知識も無駄ではありませんが、あくまでも主眼はゲシュタルト能力を鍛えること。大量の情報を得ることができる現代社会において、情報をうまく運用し、自分で考えるための知的基礎体力をつけることが大事なのです。その意味で、私は「博士課程までが現在の義務教育だ」と言うのです 。
(引用終了)


苫米地英人博士が、大学院の博士課程をすすめる理由は、学問の知識の習得もあるが、ゲシュタルト能力を鍛えることに有効であるからということです。
また大学院で指導教員や第3者の目を通じてそのゲシュタルト能力を審査されるわけですから、その能力についての社会的な証明になると言えるでしょう。

もちろん、ビルゲイツ氏・スティーブジョブズ氏のように、大学を中退したにもかかわらず、新たな価値を提供したゲシュタルト・メーカーもいるわけです。必ず大学院を出なくてはならないというわけではないですが、その場合は独自にゲシュタルト能力を鍛える必要があるということです。

確かに大学も出ていないけれど、驚異的なゲシュタルト能力がある人も思い当たります。もちろん学校に行かないで、独自に鍛えることもできるし、そういう人も確かにいるのですが、大学院それも博士課程というのはゲシュタルト能力を鍛えるための有力な方法ということです。
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●日本の実情に置き換えて考えてみると

現代の社会、特にビジネス分野でのゲシュタルト能力の大切さとそれを鍛える方法としての大学院博士課程は有効だという話でした。

しかし、一方で冒頭に述べたとおり、日本では大学院博士課程の修了者の働く先が少ないという現実があります。日本では大学院。特に博士課程に進んでも、大学教員のポストの空きもないし、民間企業でも就職先を見つけるのが大変。大学院修了が仕事のポジションやキャリアパスと連動しているアメリカと大きな違いがあります。

大学教員のポストの空きが無いのは、ポストの数が決まっているのでだれか退職しないとポストが空かないという構造だと思いますが、ここで論ずるのはやめます。

一方民間企業で一部の専門的な領域を除いて就職口が無いという問題に関して。
日本企業の大半が、博士課程修了者をどう扱ってよいか。どう処遇したらよいかわからないということではないでしょうか
そうでなかったら就職口に困らないわけですから。そういうことだと推測できます。

もう一歩進んで考えると、
会社の指示、命令に従って、それに特に疑問を持たずに行動してくれる人材は大量に必要だ。博士課程修了者が来てゲシュタルト能力を発揮して既存の社内秩序を壊されるのは困る。組織の内部に既存の秩序を変えてしまうような人材を積極的に入れたくないということでしょう。

たとえば、全国の市役所の住民票受け付け窓口業務で考えてみます。全国で多数の役人が住民票の書面受付、記入間違えや押印漏れのチェック、入力作業に関わっています。そこに並外れたゲシュタルト能力をもった人材が入ってきて、インターネットを使用したセキュリティーの高い受付や管理システムや仕組みを構築してしまったらどうなるでしょう。

そのような高度な能力を持った人材を既存の組織が受け入れるでしょうか。なるべく排除しようとするのではないでしょうか。それよりも特に日々の業務に疑問を持たずに処理してくれる人を重宝しても不思議ではありません。

多くの民間企業でも日本中で同じようなことが繰り広げられているのではないでしょうか。
この先、それでやっていけるならそれでもよいのですが、これだけ世界が一体化しつつある時代にあって、いつまで続けられるかは全く不透明です。というより率直に考えると難しそう。

やはり、日本企業や組織でも、新たなゲシュタルト構築ができる人材(その可能性が高いのは博士課程修了者)を受けいれて、企業としても新たな価値を創出していくことが必要。

でも、入れたくない。既存の秩序を守りたいというところでしょうか。

卵が先か鶏が先かという話になるのですが、ゲシュタルト能力がある人材を受け入れて新たな価値の創出しないと企業や組織が生き残れないし、またそうしないとそもそもゲジュタル能力のある人材が日本では活躍する分野が無い。そうした人材で外国語ができる人は海外に出ていってしまうということになるのかもしれません。


現在の日本式の仕組みでやっていけるのであればそれでもよいと思いますが、日本式の仕組みの方が将来的には分が悪い気がします。

自力で変化していかないとすれば、資本関係だけではなく、組織運営や経営判断を含めた実質的な企業運営がアメリカや中国などの外資の傘下に入る大企業が多数ということになってから変化するのかもしれません。

その時点ではゲシュタルト能力が期待されるポジションがほとんど外国人ということになっているかもしれませんね。そうであっても、日本国民にとってメリットがあるのであればそれはそれでよいかもしれませんが。
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●個人レベルで親として考えると

社会としてどうするかは、日本人の選択と世界の動向次第なのですが、個人としてどうしていくかは、当たり前ですが、その人ごとの選択と判断になります。

ここまで書いてきたようなことを教えてくれる学校の先生やメディアもないでしょうから、少なくても自分の子供には情報として教えてあげようと思っています。実際どうするかは本人次第ですが、そもそものなんの情報がなければ想像もできなければ選択もできないからです。

また親として考えると、冒頭で述べたとおり多くの親は子供が大学院ましてや博士課程まで進学するというところまでは想定していないでしょう。多くの場合、子供の大学入学から卒業まで(もしかしたら1年ぐらい浪人や留年するかも)が最長の想定でしょう。

大学卒業までを想定して、私立の中・高でもいいかとか、塾の費用はこのぐらいまでかけれらるとか
いった費用の計算をしていると思います。

でも大学院しかも博士課程までと考えると、子供の教育にいつどの程度の費用がかけられるかの計算が全く違ってくるでしょう。そういったことも多少は頭に入れておいた方がよいかもしれません。

苫米地英人博士は、著書「脱・洗脳教育論」(開拓社)の中で「国立の大学・大学院まで無償化・もしくはごく廉価な授業料にすべきだと」と述べています。

ゲシュタルト能力を発揮できる人材教育という観点から考えると博士課程までの教育が必要であるが、そこまで教育費の援助を続けられる家庭は限られるでしょうから、大学だけでなく大学院も無償化すべきだという提言もなるほどそういうことなのかと合点が行きます。

●どちらにしても一生学び続けることが必要な時代

また、苫米地英人博士は、
著書「圧倒的な価値を作る技術「ゲシュタルトメーカー」(開拓社)の中で、日本人の平均寿命がまもなく100歳や90歳を超える時代にあって「現代の日本人が40歳あたりまで学校に行っても何の不都合もないはず。人生の半分までは学業優先で、それからおもむろに職業人としてのスタートを切ればいいでしょう。」と述べています。


これはケースバイケースだとは思いますが、大量の情報の処理を求められ変化の激しい現代にあって、
大学卒業で十分に知識があるということにはならないし、卒業した大学名がその人のゲシュタルト能力を保障するということにはならない。相当な長期間(一生)学び続けることが必要な時代になっていることは間違いなさそうです。



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