サピエンス全史」で有名なユヴァル・ノア・ハラリ氏の近著「21Lessons
人類が現在直面している21のテーマについて書かれています。

21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考
ユヴァル・ノア・ハラリ
河出書房新社
2019-11-19


とても読み応えのある本です。ハラリ氏の視点は読む人に様々な思考を促します。

今回は21のテーマのうちの一つのテーマ「文明」を読んでの気づきです。

現在の「文明」についてのハラリ氏の指摘

ハラリ氏によれば、
現在世界にはたった一つの文明しかないと言う。


この本の中で、「文明」という言葉については明確には定期されていませんが、「サピエンス全史」の中で「文化」については次のように定義されている。

(引用開始)
農業革命以降、人間社会はしだいに大きく複雑になり、社会秩序を維持している想像上の構造体も精巧になっていった。神話と虚構のおかげて、人々はほとんどの瞬間から、特定の方法で考え、特定の標準に従って行動し、特定のものを望み、特定の規則を守ることを習慣づけられた。
こうしてた彼らは人口的な本能を生み出し、そのおかげて厖大な数の見ず知らずの人どうしが効果的に協力できるようになった。
この人口的な本能のネットワークのことを「文化」という。

(引用終了)

つまり、ある共通した虚構や幻想を共有したネツトワークのことを「文化」と呼んでいるようだ
「文明」という言葉については明確に定義されていないが、用法から類推すると
「文化」が集まってより「大きな文化」として集約されたものを文明と呼んでいるようだ

ハラリ氏によると、歴史的には、大航海時代直前の1450年頃、世界人口の9割を占めているアフロ・ユーラシア(ユーラシア大陸とアフリカの大部分)世界の他にメソアメリカ世界、アンデス世界、オーストラリア世界、オセアニア世界という4つの世界と文化があった。

その300年後アフロ・ユーラシア大陸世界が他の世界をすべて呑み込んだ。
そして現在では、世界でたった一つの文明がもたらされたというわけだ。
(もちろん現在でも他の4つの世界の文化も全く無くなったわけではありません)

もちろん、いやいや宗教が違ったり国の仕組みや暮らしぶりが違ったりということがあると反論もあるでしょう。日本と韓国では違うといった国による違いやキリスト教とイスラム教では違うといった宗教による違い食べている物とかお酒を飲む飲まないとか、食事の方法が違うといったこと。

もちろんそういった違いは当然あるのですが、上空に上がって、宇宙を飛ぶスパイ衛星ぐらいの視点から見るとおおざっぱに文明と言う意味では現在世界に一つしかないということなのです。

サピエンス全史では次のように説明されています。
(引用開始)
今日、人類のほぼ全員が同一の地政学的制度(地球全体が、国際的に承認された国家に分割されている)
や、同一の経済制度(資本主義の市場勢力が、地球の最果てまで支配下に置いている),同一制度の法制度(少なくとも理論上は、人権と国際法があらゆる場所で有効になっている),同一の科学制度(イラン、イスラエル、オスとラリア、アルゼンチン、その他どこの専門家であれ、原子構造構造あるいは結核の治療法について、完全に見解を一にしている)を持っている。
(引用終了)


「世界の文明がたった一つである」具体的な例

それでもピンとこないかもしれません。世界の文明が一つであるという具体的な例がいくつか挙げられています。

①世界のどの国でも同じ外交儀礼と国際法をおおむね認めている

(21Lessonsから引用開始)「今日、単一の政治パラダイムがどこでも受け入れられている。地球はおよそ200の主権国家に分かれているがどの国も同じ外交儀礼と共通の国際法をおおむね認めている。」(引用終了)

確かに、世界中でパスポートを使っているし、飛行機や船が運航するにもおおむね同じルールで運営されていますよね。我が国はパスポートは使いませんという国は主権国家ではないでしょう。

②世界のどの国でも同じようなモデルの国歌と国旗をもっている

(引用開始)「世界のどの国も普遍的モデルに沿った国歌を持っている。(中略)歌詞までも世界中でほぼ同じで、政治の概念と集団への忠誠心が万国共通であることがうかがわれる。」(引用終了)

国家はどの国も数分で歌えるもの。25分もかかるものはない。歌詞も各国似たものが多い。国旗のデザインもほとんどいっしょ。縦じまとか横しまとか。〇とか斜めとか

サッカーの国際試合のオープニングで30分も国家を歌っているのは聞いたことがない。
国旗

③世界中の人たちが一か所に集まってオリンピックを開催できる。

これも世界の人々が同じルールにそって競技をするし、観客の応援もおおむね同じ慣習の中で実施されているからこそだ。1000年前に世界の人々が世界のどこかに集まれたとしても、いっしょに競技をするなんて到底無理だったことは容易に予想がつきます。日本の武士が参加していたら、試合に負けたら、
「無礼者。切り捨て御免」とかやっていたかもしれません。

オリンピックにしても、サッカーのワールドカップにしても世界中の人たちが集まって開催されるイベントは開催されるだけでも人類の歴史の中では画期的なこととも言えるでしょう。

④世界中のほとんど誰もが同じ資本主義のわずかに違うバージョンを信じている

(引用開始)「今日では、ほとんど誰もが同じ資本主義のわずかに違うバージョンを信じており、単一のグローバルな生産ラインの歯車になっている。」(引用終了)

世界中の国に、銀行があり、企業があり、中央銀行が通貨を発行したり、細かな違いはあっても同じようなお金や物の流れがある。そして、世界中の人々がドルは喜んで受け取る。

我が国は、貝殻をお金に使うという国は無いでしょう。それでは貿易もできません。

⑤世界中で自然界と人体を同じように見ている

(引用開始)「現代の人類の同質性が最も顕著なのは、自然界と人体を私たちがどう見ているかだ」(引用終了)

昔であれば、病気になったとき、神に祈るとか、教会に寄進するとか、まじないをしてもらうとか、
独自の薬草を飲むとか、世界のいろんな場所でいろんな治療法が用いられたはずだ。現在であれば、世界のどこにいても、基本的な医学理論を学んだ医師から診察を受けて、
似たような薬が処方される。細かい文化的な差異があったとしても、世界中で人体と人間の疾病に関してほぼ同じ見方をしているということ。

外国に旅行に行って、病気になったとしたら、ある国では神に祈られたり、ある国ではまじないされたりしたらとても困ると思うのですが、現代ではそれはないということです。

その他にも、いろいろありそうですね。たとえば、足し算、引き算、掛け算、割り算は世界中どこでもあるだろう。世界中どこでも、電気を使い、移動手段として自動車や飛行機を使っているだろう。
物が落下する原理や、電気が伝道する仕組みの説明はどこでも同じでしょ。目に見えたいが、微生物がその辺で活動していることも知っているでしょ。

世界中のどこでも一つの文明の中にいるという視点で考えてみる

現在世界の文明は一つであると言ってもあまりピンとこないかもかもしれませんが、このような具体的な例で考えて見ると、確かに世界の文明は一つだと思えます。

「世界は一つ」とか言われても、なにか標語のように思えてしまいますが、世界の文明はたったひとつと言われると、なるほど確かにそうだなーと思えるのは、まさしく目から鱗です。

もちろん、宗教が違うとか、国が違うとか、食べるものが違うとか、同じ文明の中での兄弟げんかのようないがみ合いはあるのでしょうが、現在の世界の文明は一つだという視点があると世界の見え方が
ずいぶんと違ってくるのではないでしょうか。


普段の生活範囲の視点から見ると、世界文明が一つだということはあまり意識にのぼらないでしょう。
宗教や国の違いといった異なっている個所がより鮮明に強調されて見えるかもしれません。それは日本に住んでいる人だけでなく、世界中の人たちがそれぞれそうなのでしょう。
もちろん違いはあって当たり前で、それはそれで尊重していけばよいわけで、なんでもかんでも一つになる必要はないわけです。

でも、世界文明が一つだという視点で抽象度を月ぐらいの上空から眺めて見ると、世界文明はたったひとつ。
違いはあってもおおざっぱに見ると一つの文明の中で営まれていると実感できます。

ハラリ氏の「世界文明は一つしかない」という言葉は
なるほどそうだよなーと考えさせてくれる言葉でした。

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