●およそ6割の大人が体罰を容認している日本

2019年12月厚生労働省がしめした「体罰禁止指針案」についてネット上では「体罰をしないでどうやってしつけをするのか」「この具体例は体罰ではないだろー」「基準を国が勝手に決めるな」といった批判的な意見が噴出していました。

ネットでの意見が世の中の意見を代表しているわけではありませんが、公益社団法人セーブ・ザ・チルドレンが2017年7月実施した「子どもへの体罰について」の2万人の大人に対する意識調査と1030人の子育て中の親や養育者に対する実態調査によると

・「しつけのために体罰をすること」を容認しているのは56.8%
・「決して体罰をすべきではない」としているのは43.3%で
およそ6割の大人が体罰を容認しています。

・現在子育て中の人の70.1%がしつけの一環として子どもをたたいたことがあると答えています。

この調査によれば、現在の日本ではしつけのための体罰を容認する大人および子育て中に実際体罰をしている人が過半数ということになります。

日本においては、体罰を積極的に実施すべきというより、しつけとして手をたたくといった程度については他に方法が無い時にやむを得ずに容認するといった考えの方が多いようです。

それでも、私自身は子供に対する体罰は不要と考えています。
どうしてそう考えるかはこちらのブログ記事に書きました。

子供に体罰が不要だと考える理由
http://okinaebisu.livedoor.blog/archives/21180258.html

●苫米地英人博士が著書で述べている「子どもへの体罰」について

認知科学者、脳機能学者の苫米地博士が今回の厚生労働省がしめした「体罰禁止指針案」についてどのような見解をお持ちかは存じあげませんが子供への体罰に関して、著書の中で述べられています。

著書の中からの一部の引用ですので、体罰についての苫米地博士の考えの全容を表しているわけではありませんが、参考とすることはできると思います。

「脳の力を無限に引き出す幼児教育」からの引用

(引用開始)
親によっては、悪いことをした子供を言葉で叱るだけでなく、叩いたり、ご飯を食べさせなかったりなどの体罰を与える人もいるようです。しかし、体罰は親として最悪な行為なので絶対にやめてください。

悪いことをしたとき、体罰を与えれば、次からやらなくなるかもしれません。でもそれでは、痛みや恐怖で子供を抑えつけているだけです。痛みや恐怖でコントロールするのは動物のレベルであり、人間のすることではありません。
人間は論理的に考えて、自分をコントロールする術を知っています。論理的に自分をコントロールする方法を教えることが教育であって、体罰によって心に恐怖を埋め込んで行動をコントロールするのは動物の調教と何ら変わりません。

また、親から怒られてばかりいる子供は、「怒られてるいる状態」がコンフォートゾーンになってしまい、成長してからもわざと怒られるような行動をする子に育ってしまいます。

不幸なことに、怒られ続けて育った子どもにとっては、やさしくされることは居心地が悪く、コンフォートゾーンではないのです。
コンフォートゾーンが怒られたり、体罰を受けている状況になってしまい、そのコンフォートゾーンを維持するために、無意識に悪い行動をしてしまうのです。

子供たちがそのような性質になってしまうのは、子供たち自身に原因があるわけではありません。
子供たちを虐待し続けた親たちに原因があることは明白です。親が子供を怒り、けなしストレスを与え続けたことで、子供たちにとってそのネガティブな状態がコンフォートゾーンになってしまっただけなのです。
(中略)
では、厳しく叱ったり、体罰を与えて、その悪さをやめさせることができるかといえば、叱ったり、体罰を与えるほどネガティブな状態のコンフォートゾーンが強くなり、ますます悪いことをしようとします。ネガティブスパイラルに陥ってしまうのです。
(引用終了)


●苫米地博士は子育てで体罰を用いることを明確に否定しています

この本によれば、
体罰は親の行為として最悪なので絶対にやめてください」という強い言葉で体罰を用いた子育ては明確に否定されています

痛みや恐怖で子供を抑えつけるのではなく、論理的に自分をコントロールする方法を教えることが教育であるとされています。

また不幸なことに、怒られ続けて育った子どもは、怒られたり、体罰を受けている状況があたりまえのこと、いつものことになってしまい無意識に悪い行動をしてしまう
というのです。

この見解を読むと、体罰は決してしてはいけないと考えていらっしゃることがよくわかります。

「薔薇色脳」の中では、子供への虐待に関して次のように述べられています。一般的に虐待の言葉の方がネグレクト等を含み広義に使用されていますが、下記の引用部分については主に体罰について述べられているとおもいます。

「薔薇色脳」からの引用

(引用開始)
子供は、親も含めて、誰の所有物でもありません。"自分のもの"だという誤った認識。これがあるから、子供を躾と称して叩くのです。これまでも何回も言っていますが、体罰で子供にものを教えようとしても、脳はそれを受け付けません。
なぜなら、体罰を受けた子供は精神が委縮し、IQが下がってしまうからです。

親が虐待の加害者の場合、子供には物理的な逃げ場所がどこにもありません。すると、子供は精神的な逃げ場として、"虐待されている状態こそが心地いいんだ"と思い込むようになります。
殴られたら「本気で殴ってくれるいい親でよかった。うれしい」と思うような脳内ネットワークを構築してしまうのです。
(引用終了)


有名人の方が指導者が「本気で怒ってくれた(体罰含む)」それをバネに現在があるといった趣旨の成功談を話されることがあります。
本人がそう言っているのでそういう面もあるのかもしれません。
しかし、物理的な逃げ場のない状況で、指導と称して受けた体罰について「本気で怒ってくれたすばらしい指導者」といった認識を持っているとしたら、上記の説明のように精神的な逃げ場として、本気で怒ってくれてうれしい。といった脳内ネットワークを構築してしまっているだけなのかもしれませんね。

指導と称して暴力を振るう教師は昔はごく普通にいました。
私はそのような教師に対してよい印象は持っていませんでしたが、確かに印象や記憶には残っています。

共有する時間も限られている、スポーツ等の指導者の場合ですら「本気で怒ってくれたすばらしい指導者(体罰含む)」という認識を持つこともあるわけですから、親であればなおさらそのような脳内ネットワークを子供が構築しても不思議ではないわけですね。

そう考えると、親や教師、指導者は、体罰によって子供にそのような脳内ネットワークを作ってしまう可能性があることを十分に認識して、体罰を止める。しない。ことが必要でしょう。

余談になりますが、有名人のような社会的な影響のある方は、「本気で殴ってくれた指導者のお陰で
今の自分があるという」趣旨の話をする場合は、社会的な影響力を考えて発言すべきでしょう。
有名人の方が意図しないところで、自分の発言が子育てや教育での体罰や暴力を正当化するのに一役買ってしまっているかもしれません。それは本人にとっても本意ではないでしょう。

このように、苫米地博士の著書の中で、
子育てに体罰は不要である」と強く述べられています。私も同様に子育てに体罰は不要であると考えています。

282110


●子供への体罰がある社会とない社会。どちらがよいでしょうか。

私や妻は、体罰をすることなく子育てをしていますが、息子はすくすくと育っています。
息子の様子を見ていると、体罰をしなくても子供はすくすく育っていくのに、どうして日本では未だに体罰が容認されているのだろうと思ってしまうのです。
親自身も、体罰を用いないで子育てしたほうが楽しいでしょうし。子供もその方が楽しいでしょ。

子供への体罰がある社会と無い社会のどちらがよいかと聞かれれば、
多くの方が可能であれば「体罰の無い社会」の方がよいと思うのでしょう。
そうであるのなら、クリアすべきことはいろいろあっても、
「子どもへの体罰の無い社会」を目指していったほうがよいのではないでしようか。

子育てをすでに終えた方が、過去自分が子育てをしていたときに、体罰をしたことがある。
今子育て中で、思わず体罰をしてしまった。そんなことがあっても、未来の社会が「体罰の無い社会」の方がよいと思うのであれば過去の事は、心の中では棚上げにしておいて、「体罰の無い社会」を目指していけばよいのではないでしょうか。

過去に体罰をしたことがあるから、「体罰の無い社会」の方がよいと思ってはいけないわけではありません。
「体罰の無い社会」の方がよいと思う人が増えれば増えるほどそちらに向かっていくのでしょうから。

まずはこちらの本をぜひ読んでみてください。




0歳から5歳の幼児教育
苫米地英人
コグニティブリサーチラボ株式会社
2015-08-30


薔薇色脳〜悩みが1分で解決できる人生好転50のメソッド
苫米地英人
コグニティブリサーチラボ株式会社
2016-10-26


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