●じゅんばん。順番
息子が生まれてから、小学校に入るまで、週に1回ぐらいは、息子と二人で公園に行っていた。
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滑り台とか遊具とかで、子供たちは遊んでいるのですが、おかあさん方が子供にこういうのをよく耳にした。

「じゅんばん。順番」

遊びたい遊具があるときに、割り込みをしないで並びましょう。ということを教えているのだ。たまに耳にするわけではなく、頻繁に耳にした。

日本人は、整然と並ぶのが得意みたいだ。「コンビニのレジ」「人気のラーメン屋」「電車の乗車」「エスカレーターも片側をあけている」

コンビニのレジや電車の乗車の列に割り込んではいけないと法律で決まっているわけではないので、割り込むこともできる。

でもそうする人が少ないのは、日本の社会では整然とならんだ方がよいと思っている人が大半だからでしょう。もしくは、それが当たり前とか。だれかに何か言われるとか、注意されるのがいやとか思っているからでしょう。

たとえば、駅のトイレの並び順とかコンビニのレジのような日本の社会の中では、受けるサービスについて同じ権利があると多くの人が考えていることについては、並んだ方がスムーズに進むし、いざこざも少ないでしょうから、合理的な判断とも言える。

なので、公園の遊具で遊ぶときに、日本で「じゅんばん。順番」を守るのは、合理的な判断とも言える。

でも、実は私は、単純に「じゅんばん。順番」を子供に教えるのをためらったのです。

順番を守る事、それをあたかも当たり前の事のように親が子に教えてしまって本当に、よいのだろうかと思ったからです。

なぜそのように思うかと言うと。

①順番を守るのがあたり前ということを子供に植え付けてしまうと、他の人がそれを守るのが当然と思ってしまうかもしれません。

それは、ある価値基準をほかの人に要求しているとも言えます。でも、それが当たり前だと思わない人もいるわけですし、守れないような特別な事情がなにかあるのかもしれません。

②順番を守ることに心が縛られてしまうと、緊急事態で順番を破る必要があるときにそれができないかもしれません。

たとえぱ、お腹が痛くてすぐにでもトイレに入る必要がある緊急事態のときに、順番を守ることに縛られて、前の人に「先に使わせてください」と言い出せなかったりとか。

③日本以外の場所では違う判断をするのが当たり前のこともあるわけです。外国でも、「じゅんばん」を守るということはあるけれど、場所や内容、時間によって、守ったり守らなかったり、社会や人によっていろいろだろう。

たとえば、何年か前に上海に行ったのですが、町の中心部では、東京以上に、人や車が多い。そのため横断歩道をたくさんの人が渡る。右折左折をする車は、人が渡り終わるのを待っていたら信号が変わってしまうため、横断歩道を人が渡っていても、けっこうお構いなしに車が突っ込んでくる。もちろん、人にぶつからないように気をつけているとは思うが、交通ルールも順番もなにも無い感じである。

それは歩行者もバイクもいっしょで赤信号でもけっこう渡っていってしまう。町を歩いていると、治安の面での心配はないのだが、交通事故に合わないように注意が必要だ。

ただ、上海の町の様子を見ていると、日本や東京より圧倒的に、人が多くごったがいしている。確かに、順番を待っていたら車も、人も進まなそうな感じだ。順番を待っていても、いつまでたっても自分の番はやってこない感じで我先に、ともかく進んでいくより無いとほとんどの人が思っているようだ。

やはり圧倒的に人が多い社会というのは、交通事情がこんな感じてあるので、社会のいろいろなところで同じようなことがあるのだろうと思われる。

圧倒的に人数が多くて、自分の順番が簡単には回ってこない社会のせいか「じゅんばん。順番」を守るよりかは、我先に前に進んでいったほうがよいと多くの人が考えているかもしれない。

隣りの国でも、だいぶ違うわけですから、世界の他の場所にいけば、さらに人々の意識や反応が違っているだろう。

●それで私は結局どうしたか。

そう考えると、公園の遊具で遊ぶときに「じゅんばん。順番」を安易に息子に教えてしまってよいものか。とてもためらってしまったのです。

「じゅんばん」を守りましょうとか、守りなさいとか、それが正しい事という前提で言ってしまえばそれまでなのですが、よく考えると本当に順番を守った方がよいのか、今がその時なのかはよく考える必要のある、実はけっこう深い問題なのです。

もちろん、私が順番は守る必要が無いと考えているわけではないのですが、どんな場所、どんな時、どんな内容で守る必要があり、逆に守る必要がないかよく考えて判断する必要があるのではということです。

そのため「順番だから守ろうね」ということは、息子に言いませんでした。

でも、明らかに、先に待っている子がいて、息子が追い抜いてしまったような場面では「先に待っている子がいたよ。先に待っていたのに抜かれてしまったらいやじゃないか」と言うような言葉の投げかけをするようにしました。

なるべく、
「順番だから守るものだ」ということを強制するのではなく、

「こういうケースでは、順番を守ったほうが自分も、周りの子どもも気分がいい」といった答えを自分自身で考えてくれたらいいなーと思ったわけです。

どんな場所、どんな時、どんな内容で順番を守った方がよいのか、守る必要がないのか自分自身でよく考えてね。そしてそれを判断する際に、自分がどうしたい、こうしたいと思うのと同じように、他の人もどうしたい、こうしたいということがあるということを忘れずにいようということです。


これで、公園で息子と子供たちで大きなトラブルになったケースはなかったと思います。

先日、現在8歳の息子に、「公園の遊具で遊んで混んでいる時に、順番は守ったほうがよいのかどうなのか。どう思う」と聞いてみたら、

息子は、「順番を守ったほうが、小さい子も遊べるからその方がいいんじゃない。そうしないと大きい子ばかりが遊ぶようになってします」と言っていました。

この答えが合っているかはわかりませんが、
自分なりに理由を考えているならそれでよいのではないかと思います。

こちらの記事もご参照ください。
「なぜしつけはいらないのか」
http://okinaebisu.livedoor.blog/archives/17723175.html
「(続)なぜしつけはいらないのか」
http://okinaebisu.livedoor.blog/archives/17852470.html

●「子どもに順番を守らせることができない」と親が思われるのがイヤかも

公園で子供同士で遊んでいて、順番が変わったりしたことで、子供同士のケンカになって、親が介入しなくてはならないケースは実際は、あまりないのではないでしょうか。

それでも、公園でお子さんに「じゅんばん。順番」を言うお母さんやお父さんが多いのは、子供に順番を守ることの大切さを知ってほしいということもありますが、「他人の目を気にしすぎている」ということもあるのかもしれません。

公園のその場にいる、他の親がたとえ知らない人であっても、「子どもに順番を守らせることのできない親」とか「順番を守るように子供に言わない親」とか他人に思われるのがイヤという気持ちも無意識に働くのかもしれません。

また、順番をめぐって他のお子さんの親と、もめたくないということもあるかもしれません。そのような気持ちが、私自身も全く無いわけではなく、やはりどこかにあると言わざるおえませんが、
でも、実はよく考えてみると、子供とは関係のない親自身の気持ちのことのようにも思えます。

苫米地博士の「日本を捨てよ」という本に他人の目を必要以上に気にしやすい日本人の傾向について解説されています。こちらを読んでみるのもよいかと思います。

「日本を捨てよ」という過激なタイトルですね。でもこの本は、日本はひどい国だとか、日本を捨てるべきだとか言っているわけではありません。

今住んでいる日本の中から、意識の上で上空に上昇していって日本、アジア、世界、地球といった具合に視点を高めて(抽象度を上げて)、日本や世界を眺めてみたらどうでしょうか。という事が書かれている本です。そうすると見える景色がだいぶちがうと。
「日本を捨てよなんてけしからん」とタイトルだけで判断しないでくださいね。

「日本」を捨てよ
苫米地英人
コグニティブリサーチラボ株式会社
2015-03-15





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