我が家で飼っているザリガニをみながら思ったこと

ザリガニを見ながら私の心にひらめいたことなので、ドクター苫米地式子育て術とは関係のない話題です。コーチングには多少関係あるかも。
我が家で飼っているザリガニの話はこちら
http://okinaebisu.livedoor.blog/archives/17312092.html
我が家のザリガニにとって「過去は関係ない」かも
ザリガニにとっての話です。
我が家のザリガニにえさをあげているのは私です。昨日まで、えさをあげていましたが、明日から必ずあげるかはわかりません。(もちろんあげますけど仮の話です。)
ですから、我が家のザリガニは昨日えさを食べたことによって、今日はお腹がすいていないということはあるかもしれません。でも、明日えさを食べれるかわからないわけです。
ザリガニが現在生存していることに過去は関係していますが、未来に生存できているかどうかに過去は関係ありません。
もちろん、体が大きくなった、小さいままだったということで、生存に有利、不利という意味での過去は関係があるかもしれませんが、体が小さいから逆にえさにありつけるということもあるかもしれませんので、未来に直接影響しているというわけでもないでしょう。
「昨日なにかした」「昨日なにかしなかった」「昨日努力した」としても
明日、えさを食べられるかはわからない明日、ザリガニ自身が食べられてしまうかもしれない。明日、どうなるかはわからない。
ですからザリガニにとって、「過去は関係ない」かも?
ザリガニの感覚と人間が感じる時間の流れは違うかも?
そんなことを調べてた人がいるかわかりませんし、どうやって調べるのかもわかりませんが、ザリガニにとって、時間の流れはどんな感覚?
ザリガニにとっては、時間は一瞬、一瞬。時間の流れとしては、「未来から過去」へ流れるという感覚に近いかも。
日本人の多くの大人が時間の流れは「過去から未来」と思っているのではないかと思います。
(全世界では、そうでない場所もあると思いますので、日本人と書いておきます)
「ザリガニ」と「多くの日本人」。
時間の流れはいっしょのはずなのに
「ザリガニ」と「多くの日本人」
時間の流れの感覚が正反対かもしれない。
なぜだろう。?
人類のご先祖様は、ザリガニと同じようにその日ぐらしだったでしょう。ということは、かつての時間感覚はザリガニといっしょだったかもしれません。
それが拾ってきた木の実を保存したりという、食べ物の貯蓄から始まって、小麦の栽培やヤギや羊を飼ったりして定住化が進んでいくにしたがって人間の時間感覚の変化があったのかもしれません。
小麦の栽培がうまくいったから、今年の冬を越すことができる。食料をためておいたから、春まで食べるものがある。家を建てたから、今年の冬を超えられる。
といった感覚つまり
「過去があって現在が決まる」
「過去にどうしたから未来が決まる」
このようにして「時間は過去から未来に流れるという」感覚はこのようにして芽生えたのかもしれませんね。
これは「アリとキリギリス」の寓話に象徴的に表現されています。
そして、貨幣という過去の価値を保存する手段が考案されることで、さらにこの時間感覚が強化されていったのかも。
お金があれば将来は安心とかお金が無いと将来が不安とか。いった感覚
しかし、人類のご先祖様の時代から現代の間で、実際の時間の流れに変化があったのでしょうか。?
実際の時間の流れに変化が無いとすれば、単に 人間の「時間の流れに対しての認識」が変わっただけということになります。
つまり、時間が「過去から未来に流れる」という感覚が当たり前の事と思っているかもしれませんが、
実は、その人が勝手にそう認識しているだけということかもしれません。
そう考えると、時間が「過去から未来に流れる」「未来から過去に流れる」どちらの時間感覚を選ぶかは、その人の自由ということになるのではないでしょうか。
参考にこちらの記事もご覧いただけるとよいです。
時間は過去から未来、未来から過去どっちに流れるの
http://okinaebisu.livedoor.blog/archives/17189280.html
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ですから、我が家のザリガニは昨日えさを食べたことによって、今日はお腹がすいていないということはあるかもしれません。でも、明日えさを食べれるかわからないわけです。
ザリガニが現在生存していることに過去は関係していますが、未来に生存できているかどうかに過去は関係ありません。
もちろん、体が大きくなった、小さいままだったということで、生存に有利、不利という意味での過去は関係があるかもしれませんが、体が小さいから逆にえさにありつけるということもあるかもしれませんので、未来に直接影響しているというわけでもないでしょう。
「昨日なにかした」「昨日なにかしなかった」「昨日努力した」としても
明日、えさを食べられるかはわからない明日、ザリガニ自身が食べられてしまうかもしれない。明日、どうなるかはわからない。
ですからザリガニにとって、「過去は関係ない」かも?
ザリガニの感覚と人間が感じる時間の流れは違うかも?
そんなことを調べてた人がいるかわかりませんし、どうやって調べるのかもわかりませんが、ザリガニにとって、時間の流れはどんな感覚?
ザリガニにとっては、時間は一瞬、一瞬。時間の流れとしては、「未来から過去」へ流れるという感覚に近いかも。
日本人の多くの大人が時間の流れは「過去から未来」と思っているのではないかと思います。
(全世界では、そうでない場所もあると思いますので、日本人と書いておきます)
「ザリガニ」と「多くの日本人」。
時間の流れはいっしょのはずなのに
「ザリガニ」と「多くの日本人」
時間の流れの感覚が正反対かもしれない。
なぜだろう。?
人類のご先祖様は、ザリガニと同じようにその日ぐらしだったでしょう。ということは、かつての時間感覚はザリガニといっしょだったかもしれません。
それが拾ってきた木の実を保存したりという、食べ物の貯蓄から始まって、小麦の栽培やヤギや羊を飼ったりして定住化が進んでいくにしたがって人間の時間感覚の変化があったのかもしれません。
小麦の栽培がうまくいったから、今年の冬を越すことができる。食料をためておいたから、春まで食べるものがある。家を建てたから、今年の冬を超えられる。
といった感覚つまり
「過去があって現在が決まる」
「過去にどうしたから未来が決まる」
このようにして「時間は過去から未来に流れるという」感覚はこのようにして芽生えたのかもしれませんね。
これは「アリとキリギリス」の寓話に象徴的に表現されています。
そして、貨幣という過去の価値を保存する手段が考案されることで、さらにこの時間感覚が強化されていったのかも。
お金があれば将来は安心とかお金が無いと将来が不安とか。いった感覚
しかし、人類のご先祖様の時代から現代の間で、実際の時間の流れに変化があったのでしょうか。?
実際の時間の流れに変化が無いとすれば、単に 人間の「時間の流れに対しての認識」が変わっただけということになります。
つまり、時間が「過去から未来に流れる」という感覚が当たり前の事と思っているかもしれませんが、
実は、その人が勝手にそう認識しているだけということかもしれません。
そう考えると、時間が「過去から未来に流れる」「未来から過去に流れる」どちらの時間感覚を選ぶかは、その人の自由ということになるのではないでしょうか。
参考にこちらの記事もご覧いただけるとよいです。
時間は過去から未来、未来から過去どっちに流れるの
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