●「水泳のある日は学校を休む」と息子が言い出した。
2年生になった4月のある日。息子はおかあちゃんと何か話をしていたら「水泳のある日は学校を休む」と、言い出したらしい。
学校で授業でプールがある日は、プールに入らないで見学しているのもいやだから、学校に行かないと言っている。
妻がプールの話をしたら、1年生の時の学校のプールの時間を思い出したらしい。「耳に水が入るのがいや」 「寒いのがいや」「顔を水につけるのがいや」と言っている。
プールに入った時の体感で、不快に感じた記憶がよみがえってくるらしい。次々に、いやな理由、できない理由がクリエイティブに出てくる。
「学校のプールが嫌なら、スイミングスクールに行ってみたら」「スイミングスクールなら 寒くないし、コーチが教えてくれるからだいじょうぶだよ」と 妻が言っても
「それでも嫌。スイミングスクールも行かない」と言い続けかたくなに拒んでいる。 妻はどうしようかと困っていました。
小さいころ、水遊びをするためプールには行っていたので、プールで水遊びしたり、浮き輪で浮いているのは好きらしいが、泳ぐために、水に顔をつけたり、頭を水につけたりするのが嫌らしい。
コーチングで言うと、「泳ぐためにプールに入ると水に顔をつけるのが不快だ」という過去の情動の記憶が強いため「プールに入るのは嫌だ」というブリーフ(信念)をもっているようです。
ブリーフとは、本人が受け入れてる無意識の日常の信念のことです。
「プールは嫌だ」というブリーフ(信念)を持っているため、なんとか、プールに入らないで陸にいるという現状の心地よい状況を強く維持しようとします。なるべく、不快な状態をさけようとするのは自然なことです。
現状の心地よい状況(現状のコンフォートゾーン)を維持しようとするため、脳は天才的に、できない理由を考え出します。「耳に水が入る」とか「寒いとか」「泳げなくても困らないとか」
この時の彼にとって、プールに入らないという現在の状態を維持することがゴールだったわけです。
泳げなくて、実際なにか困ることがあるかというと、
「水に落ちたときに泳げないとおぼれてしまう」 と言っても実際そのような場面に遭遇する緊急事態は、確率的には相当低いと思われますし。
「海水浴に行けたりして楽しい」と言っても、他にもレジャーはあるので、海水浴に行かなくてもよいので、泳げなくても、そんなに困らないようにも思えます。
しかし、泳げるようになれば、楽しいし、海で遊ぶこともできます。
「泳げると楽しい」ということは、彼の中では、スコトーマ(盲点)に入って見えません。認識されていない状態です。
「泳いだことがないので」 泳ぐことが楽しいという感覚は生まれてから一回も感じたことがないわけです。
泳いでいて楽しいということを認識していないわけですから、泳ぐのが楽しいという、リアリティも臨場感も感じないわけです。
泳いでいる自分の姿は、そもそも認識されていないわけです。
どうしても、泳ぐのが嫌、だからプールの日は学校に行くのが嫌というのであれば やむを得ないのですが単に 泳いでいることが楽しいと想像できないからプールに入るのを嫌がっているのかもしれません。
何かがきっかけで、プールに入るのは嫌だというブリーフ(信念)を自分自身で、変えられる時が来るかもしれません。
しかし、ブリーフ(信念)を変えて、スコトーマ(盲点)にかくれている泳ぐのは楽しいというイメージを本人の力で見つけていくのは時間がかかりそうだし、容易ではなさそうです。
もちろん、泳げた方が本当によいのかはわかりませんが、このブリーフ(信念)を変えて、泳げるという、子供の将来の可能性を維持してあげるには、自転車に乗るのに、最初はサポートが必要なのといっしょで、誰かがサポートしてあげたほうが、よさそうです。
そこで、ためしに こんなことをしてみました。
息子は 海の生き物が大好きです。海の中を、魚たちといっしょに泳いでいることをイメージしてもらうことにしました。
息子に言いました。「目をつむって」
とうちゃんのいう事をイメージしてみて
「ここは青い海の波の上です。」
「波の表面から 海の中に入りました」
「海の中は、太陽の光が差し込んで、きらきら光っています。」
「海の底から泡がぷくぷくと出できて、水面に上がってゆくます。」
「光の向こうから イワシの群れがやってきました。」
「イワシの群れを追いかけて、〇〇(息子名前)も泳いでいきます。とても楽しいです。」
「そこにマグロがあらわれました。すごいスピードで追い越していきます。
びっくりです。」
このあとしばらく、海の中の情景と
好きな魚や、海の生き物が出てきます。
そして、その海の中で楽しく泳いでいる自分の姿をイメージするような言葉の投げかけをしました。何分間で、ひととおり、終わって息子が目をあけると
なんと びっくり!
「たのしい!海をおよぎたい」
「スイミングスクール」に行くと言い出したのです。
さっきまで、あんなに頑なに、プールもスイミングスクールに行くのも拒んでいた息子が、なんとビックリ 行くと言い出したのです。
さっきまでの息子とはぜんぜん様子が違います。
この様子を見て、一番びっくりしたのは、私の妻です。
息子の表情も明るく変わりました。
海の中を魚たちと泳いでいるのを リアリティをもってイメージできたらしく、泳いでいるのが楽しいという情動を感じられたようです。
プールに入りたくない自分のイメージを打ち消して、海の中を魚たちと泳いで楽しい自分、というイメージの方が、彼の中で選ばれたわけです。
息子は、海の生き物が好きだったので、とてもリアルに海の中を泳いでいる自分をイメージすることができたようです。
自分が泳いでいる世界をリアルにイメージできればもっているブリーフ(信念)は、意外と簡単に変わってしまうこともあるのですね。変わるときは、一瞬です。
もちろん、息子と親である私の間には、「ラポール」(信頼関係)が結ばれているので、私の発する言葉をもとに、息子は海の世界をイメージできたわけです。
さっそく 体験レッスンに申し込んで、一週間後にスイミングスクールに行きました。スイミングスクールに行くまでが大変だったわけで、嫌々行ったとしたらそこからがまたひと山あるわけですが、喜んで行ったので、すんなりでした。
ヘルパーという、腕に巻いて浮く道具を使ったら、簡単に浮いたのでバタ足で、10メーターぐらい進むことができたのです。
これで、すっかり、彼の中では、「プールで浮くことができた」 「自分はおよげる」ということになったらしいです。おかあちゃん 「僕浮けた」 「たのしい!たのしい!浮けて楽しいと」プールから出てきて大喜びしていたそうです。
その日のうちに、入会して、家に帰ってきても、もらって帰ってきた水着を家ではいて大はしゃぎでした。
このような光景は、一週間前には予想できなかったことです。
ちょっとした きっかけで 大きく変わるものです。風がふいて、紙の表と裏が、ひっくりかえった。そんな変化です。
「泳ぐのがいやな自分」と「泳ぎたい自分」は 正反対であるけれど、どちらのイメージを自分で選ぶかは、まさしく紙一重なのですね。
スイミングスクールに通って、1年になりますが、今では クロールで25M近くおよげるようになり、楽しんでスイミングスクールに通っています。
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